2014年2月4日火曜日

稲垣稔さんのこと

昨年6月26日、ギタリストの稲垣稔さんが54歳で亡くなられました。

私は1988年から8年間ほどギターが弾けない状況にありました。1996年から少しずつ復帰するのですが、ブランクを克服するにはコンサートで弾くしかないし、演奏レベルの高い方とご一緒させて頂ければ尚、近道だろうと考えました。
ちょうどギターを弾けなくなってから始めた仕事で会社を設立することが出来たので、仕事の宣伝も含めて当時居住していた川口市のリリア音楽ホールでコンサートを定期的に始めたのです。(https://sites.google.com/site/masaharukumagai/home/guo-qunokonsato)
お客さんは無料の代わりに、ブランクのある私が第一線で活躍している演奏家と共演する。私の勉強のためです。企画は当たり、毎回600席のところに1000を超える応募がありました。
私は出演していただける方を色々当たっていましたが、ギターは私の一番の憧れである稲垣さんに連絡を取らせていただきました。駄目元でお願いしました。半分を私との二重奏で半分はソロでと無理なお願いなのです。しかし、二つ返事で了承していただき、逆に緊張してしまいました。「まずい!稲垣さんの音にどうやって合わせりゃいいんだ?」という具合です。
1996年(リリア第2回)と2002年(リリアコンサート第13回)で二重奏、2001年は2000人の大ホールで「ギター協奏曲の夕べ」を企画し稲垣さんに出演をお願いしたところ、A.ピアソラの「バンドネオンとギターのための協奏曲」を弾いてみたいと言われたので、バンドネオンの岡本昭氏を人づてに紹介していただき実現させました。
この演奏の録画か録音があるはずなので、皆さんに聴いていただきたく、今探しているのです。
取り敢えず、音も絵も度重なるファイル変換の為にすっかり劣化した二重奏が出てきたのですが、悩んだ末にアップロードしました。雰囲気だけでも感じていただければと思います。私は聴く度に未だに寂しさを覚えます。